natsumiudonの日記

徒然なるままに

言語文化と相互理解について(前置き)

言語文化とその違いから生まれる相互理解の在り方について、私の中の考えを問い直し深化させるような出来事があったので記録しておきたい。

 

最近ひょんなことから1人の外国人と知り合った。その人は1年半前に祖国を出て、東回りで巡廻し、生まれ育った国を目指して旅している(地球を一周している)とのこと。

また興味深いのが、空路を一切使わず、バスキングとヒッチハイクのみで旅をしていた。(街中でバスキングをしているところで出会った)

 

 

彼の国を以前訪れたことがあり話が弾み、色んな話をした。(色々な話をしたけどこの時点では広く表面的な話)

その中で彼は、

「色んな国を見てきたけど日本人はなんというか何を考えているのかがわからない。言葉ではこう言っているけれど、本心はそれとは全く違うところにあるような気がする。曖昧さを好み、明断を避けたがる。日本に来てから自分だけ浮いてる気がする、息苦しい。」

 

「話しかけても返事があまり返ってこない。バスキングをしていても足を止める人も少なく、みんなどこか忙しそうで余裕がない。まるでロボットみたい。」と言った。

 

前者のくだりはこの記録のメインテーマになるのでまた後述する。

バスキングに関しては、芸術や文化といったものが常に生活の中に根付いている欧米との違いかなと思う。あと場所がビジネス街だったので、そういうことかなぁ。

 

あととてもすごいなぁと思ったのは、彼は英語が母国語ではないのに不自由することなく英語が堪能なこと。母国語と英語以外にも、歴史的背景から少なくともロシア語も話せるんだろうなと推す。(スロバキアクロアチアスロベニア語あたりも感覚近ければ話せるのかもしれない)

以前リトアニアに行った時に出会った10代の少年も英語がとても堪能で、母国語ではない言語をどうやって会得したのか尋ねると「だって学校で学ぶでしょう?」だった。

英語圏の国の人が英語を学ぶときはどんなアプローチをするのかただただ気になった。

同じ時間、もしくはそれよりも少ない時間で過不足なく意思疎通を取る彼は、どんな学び方をしてるんだろう?学校はどんな教育を行ってるんだろう。

母国語と他言語2つ3つ当たり前でマルチリンガルな人が沢山いるのも普通だったりして、そういった人々のバックボーンもかなり気になる。

 

もちろん地理的歴史的文化的政治的といった外的環境の要素って多分とても大きくて、陸続きで色んな国との目に見えるもの見えないものの交流がある、自分とは違うところにルーツを持つ人が沢山いる、他国の社会情勢や問題が自国の経済に大きく影響する、というのは「他言語を学ぶ・自分と違う国をルーツに持つ人との相互理解」においては、とても大きな原動力になったり言語を習得するハードルを限りなく下げてくれる気がする。

 

比べて日本は街中で海外の人を見かけることがあるけれど単一民族国家で、海外の人に慣れていない・英語を話せなくても日本語を話すことができれば生活に困る場面に遭遇しない。

海外から来た人になるべく親切にしたい・なるべく楽しく過ごしてほしいと思う気持ちがある反面、それを日本語以外で表現するとなると途端に難しくなってまうので、そこから誤解が生まれてしまう部分(レスポンスがないというのも、不親切にしたいわけではなくて単に表現する方法がわからなかったり慣れない状況に困惑してしまったり)が一番大きな理由なんじゃないかと思う。

 

記事分けて書くのめんどくさいので一気に書き上げようと思ったけど一気に書き上げるのめんどくさくなってしまったので一旦休憩してまた次の記事で書くことにする(休憩が多い)